それはあいつがへたれだからだぁ!

【Since 11/22_2011】へたれでヒッキーな筆者が日々の出来事や思い等を綴っていく個人運営ブログです。

自伝的な何か

知人に触発されたので自伝的な何か、書いてみようと思います。
書けるところまでやってみよー。 続きからどうぞ



大阪南部にはとある新興宗教がありまして
私の家系はおじいちゃん、おばあちゃんの代から信仰していました。
父親も母親も、宗教で見合い結婚しました。

さてそんな家庭に長男として誕生した私ですが
最終的に姉、自分、弟、弟、妹、妹、妹、弟と大勢の兄弟に囲まれた生活になります。
厄介なのがすぐ下に弟が二人もいるという環境、当然兄のやることを真似て成長するのですが
同じおもちゃを2年、4年も年下の子が手に入れたり、
お兄ちゃんなんだから我慢しなさいと言われたり
当時の自分は全くもって嫌な思いをし続けました。

当然大家族な上に、宗教への奉公もしていた父親の収入はとても低く
テレビゲームどころか他の玩具も買ってもらえないことが多々あり
とても貧しい暮らしだったのを覚えています。



運命の分かれ道は、幼稚園のころでした。
ぜん息という気管支系の病気を発症し、発作が起こったときには運動はおろか
日々の生活……寝たり、トイレに行ったり、ご飯を食べることすら苦しくなりました。

さらに、当時からぜん息の薬というものは一般に流通していたにも関わらず
「神様の力で救ってもらえる」などと世迷言を言う親。
まだ何も知らない子供だった私は、それを信じる他に道はなかったのでした。

信仰はすれど、症状は進級するごとに悪化し、小学五年生のころには出席率が50%にまで下がる事態に。
それでも、神様が救ってくださると信じている親を信じて、過ごしていました。

学校へ行けない上に、スポーツも病気でできないとなれば
子供なんてかんたんにひとりぼっちになります。
友達は全くできませんでしたので、一人遊びが多くなりました。


中学に入り、このままではダメだと感じた私は卓球部へと入部することにしました。
でも部活中に発作が起きては流れを止めたり、そもそも学校を休む日が多く
いつしか朝練などの部活の連絡も届かぬようになり……。
半年も立たぬうちに辞める流れになりました。

この時点で自分の中に「ぜん息でできないことがあるのが当たり前」という意識が生まれていたので
悔しさも何も感じませんでした。



そして残された自分に生まれた感情は、暇を潰したい。できれば無料で。という願いでした。
もともと電子機器に興味を持っていた自分は卓球部を辞めたあと、パソコン部に入部し
HTMLでのYahoo!ホームページ開設や、まさおコンストラクションの改造などをやっていました。
とても楽しかったのを覚えています。

そこでHSPという無料プログラミング言語を知りました。これが後に、唯一、人生で自慢のできる特技となります。

C+などの言語に比べればできることはとても限られるのですが、HSPは自分の可能性を広げてくれました。
最初は文字だけ、ボタンを押すとダメージが入って敵を倒せる。そんなゲームを作り
次第に画像が入り、絵が動くようになり、BGMが付き……
パソコン部にいる同期には全く理解されなかったですが、とても高度な一人遊びだったと思います。



そうこうしているうちに、運命の分かれ道はまた訪れます。

中学卒業。高校への進学です。

宗教家庭へ生まれた自分には、高校へ進学する道も示されず、可能性も金銭的に不可能で、
「宗教が運営する山ごもり施設へ行く」しか選択肢はありませんでした。
そして小さい頃から神様に救ってもらえると言われ続けた自分は、それが正しいものだと洗脳されていました。

山ごもり。具体的には奈良のとある山にある施設へ同学年50人程*3学年+監督十数名での集団生活で
森林伐採から溶接までさまざまな仕事のようなことをやらされる施設です。
当然、得意なパソコンもなく、ぜん息が出れば歩くこともままならない自分が体力勝負の世界へ挑もうというのです
普通の大人ならまず止めるでしょう。

それを周りの人間は誰一人疑問も持たず、万歳三唱するほどの勢いで勧めているのです。
狂っている。

結局、自分も狂ってたのでした。



山の施設で自分はなんの役にもたちませんでした。
ただひたすら苦しい思いと皆と足並みを揃えられない無力感に苛まれ、
集合して眠るだだっ広い寝室に、昼間に一人でいなければならない孤独感と
誰も助けてくれない、神にすら見放されたような喪失感を味わい続ける日常。

死にたい、自殺してやりたい。初めて思いました。



8月頃、二階から飛び降りようとしたところを見つけられて帰宅
その後12月頃までは在籍したものの、頃合いを見て退学届を提出。

当時の自分にとって、山の施設へ行くことだけが未来への道筋だと思っていました
その道筋が途切れたとたん、何のために生きているのか、自分は何なのか、神とは何か
これからどうやって生きていけば良いのか、未来が全く見えませんでした。



それでもまだ死ぬ勇気も持たない自分は、宗教という鎖を断ち切ることができないまま
1年程の時を無駄に過ごしました。
いや、中学から続けていたHSPでゲームを一本作り上げ、
コンテストで賞をいただけ、雑誌にも載ったことは無駄ではなかったのかもしれません。
それでも社会的に見れば無駄な時間でした。



そのあとの選択肢で、さらに時間を無駄に使うことになるともしらずに。



おそらく続く

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